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長崎 爆心地 1945年10月ごろ |
長崎現地フィールドワーク
戦争の悲惨さを後世に
7月18日から19日、長崎県佐世保市で、全港湾九州地本の青年女性部が主催する平和学習会が開催されました。全港湾・全日建併せて38名の青年が結集し、戦争で使用された物や防空壕、佐世保湾内の基地を見学しました。
初めに九州地本青年女性部の矢野部長が挨拶。そののなかで「反戦・反原発は繋がっています。個々の小さな力ではなく、みんなで共に求めていきましょう!」と呼びかけました。
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爆心地の地図と原爆落下中心地碑 |
防空壕や基地を見学して〝時代背景〟を感じた
「戦争の悲惨さを今に、そして未来へ伝える」というテーマで行われた学習会は、フィールドワークで佐世保空襲の資料館や戦争中に国民学校の生徒と先生が作った防空壕、佐世保湾内の米 軍・自衛隊基地などを見学したあと、元衆議院議員の今川正美さんを迎え、「集団的自衛権」「憲法9条」などについて学びました。
私が見学したなかで一番印象深かったのは「無窮洞」という防空壕です。
これは第二次世界大戦中に旧宮村国民学校の生徒と先生が、設計図無しで教壇・台所・トイレなどを備え、約600名の全校生徒が避難できるようにと掘ったものです。天皇の写真を飾る部屋まで設けてあり、戦時中の時代背景を感じました。
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かえり船 (*)
終戦になり、外地にいた兵士が復員船に乗船して帰国
浦頭引揚記念平和公園 - Wikipedia
佐世保港「浦頭」の引揚者数

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今回見学した佐世保市は、第二次世界大戦の戦線拡大に伴い、艦艇の新造や破損修理、兵器爆薬の製造など戦争一色に塗りつぶされました。
また1945年6月28日には、B29が来襲し大量の焼夷弾が投下され、多くの市民が犠牲となった街です。
第一次世界大戦以降、軍人より多くの非戦闘員の命が犠牲になりました。
この歴史を繰り返さないために、これからも私たち青年が力を合わせていこうと確認し合いました。今後も全港湾の仲間と交流を深めながら、共に学び平和を求める運動に取り組みます。
【 通信/青年女性部】
参考
長崎原爆資料館 ホームページ
防空壕跡の無窮洞 西日本新聞 戦後70年へ-証言をつなぐ vol1より |