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大阪空襲を語り継ぐ
7月4日、大阪国際平和センター(ピースおおさか)で部落解放大阪青年共闘会議フィールドワークが開催され、関生支部から5名が参加した。
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はじめに、太平洋戦争末期に大阪大空襲を経験した伊賀孝子さんの講演を聞いた。
◆ 全て犠牲にした戦争
伊賀さんは「1945年に入ると毎日のように空襲警報が鳴り、私は弟と一緒に防空壕で寝ていた。3月13日の夜も警報が鳴り、父の指示で避難するために壕の外に出たところで空襲にあった。米軍機から落とされた焼夷弾によって家は一瞬にして燃え、火だるまになって助けを呼ぶ人の姿もあった。自分も顔や手などにひどいやけどを負い、母と弟はこの空襲によって亡くなった。
戦争は戦場だけで起こるものではない。人間の生活の全てを犠牲にする。また、勝った国にも必ず悲劇がある。そして、戦争で負った体と心の傷はずっと残る。だから、戦争だけは絶対にしてはいけない」と語り、参加者は真剣に耳を傾けた。
◆ 映像などで当時を再現
その後、展示室を見学。ここでは、写真や爆弾の模型、体験者の証言などによって大阪空襲を始め戦争の様子を伝えていた。そのなかには、戎橋界隈のジオラマや床面へのプロジェクションマッピングによって空襲の様子を映写したコーナーがあり、集中豪雨のように焼夷弾が降り注ぐ様子に参加者は衝撃を受けていた。
戦争の悲惨さを学び、「日本を戦争する国にしてはならない」と改めて深く考えさせられる貴重な一日となった。
歴史の真実を闇に…
このピース大阪には、満州事変から太平洋戦争にかけての「15年戦争」を紹介するコーナーがあり、南京大虐殺など日本軍の加害行為についての展示があった。しかし、2013年に大阪維新の会や自民党の府市議らから「自虐史観」と批判の声が上がり、撤去することとなった。この背景には政治的意図があることは明かである。 |
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