琉球セメント安和桟橋を使って大浦湾埋め立てに使う土砂を船に搬入している。
4月19日から21日まで南大阪平和人権会議沖縄現地学習会に参加しました。参加者23名は、3月の団結式で初めて顔を合わせた方たちばかりで所属団体やお名前が一致せず緊張しましたが、現地学習会を進めていくうちに打ちとけることができました。
沖縄到着後、一番初めに訪れたのは「波上宮(なみのうえぐう)」です。ここで旅の安全と家族の健康を祈願してきました。
次に訪れた「道の駅かでな」では嘉手納基地を一望することができ、基地の大きさにビックリしました。広さだけではありません。米軍機による爆音にも驚きました。騒音測定器を観察すると平時より30デシベルも音が大きくなっていました。早朝から夜遅くまで、この爆音が鳴り響くなかで生活している人の苦しみは計り知れないです。
次に向かったのは辺野古です。辺野古訪問は初めてでした。写真で見たことはありましたが、やはり実際、現地に赴くと緊迫感が伝わります。全港湾建設支部元副委員長の宮崎さんが辺野古の現状をガイドしてくださり、その説明を聞きながらゲートまで歩いて移動しました。訪問した日は座り込み抗議3575日目でした。灼熱の真夏日も雨の日も座り込みをし続ける力強さを感じました。
ゲート前では、15時の搬入を待つダンプが49台並んでいました。宮崎さんの説明によると、以前はボロボロの車だったのに、新基地建設で会社が儲かったので新車に買い替えたそうで、全車ピカピカでした。生活のために働いている労働者一人ひとりが悪いわけではありませんが、新基地建設よって自分たちの住む沖縄の海や環境が破壊されてしまうことをどう思いながら仕事をしているのか、聞いてみたいと思いました。
伊江島の暮らしや産業の歴史を学ぶ
二日目、塩川にある琉球セメント安和桟橋を使って辺野古埋め立てに使う土砂搬出反対行動現場に行きました。山を削り元はどんな山だったのか想像できないぐらい景色が変わってしまったと地元の人は嘆いているそうです。
その後、本部港からフェリーに乗り、たどり着いたのは伊江島です。現地ガイドの大畑さんの説明を聞き、防空壕になったニャテイヤ洞(仙人がま)と島全体を見渡せる城山(ぐすくやま・伊江島タッチュー)に行きました。そして「わびあいの里」では展示物の説明と阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう)さんのお話を聞き戦争の悲惨さを学びました。「喜納番所」では、廃藩置県後に役場として、村の政治・行政の中心的役割を果たしてきたという歴史などを学びました。
忘れてはならない犠牲になった命を
最終日の三日目、ひめゆりの塔に行きました。戦争の映像や体験談は生々しく、胸が詰まる思いでした。私が以前暮らしていた北海道稚内市にも同じような碑があります。「九人の乙女の碑」です。北海道から沖縄まで日本全国で、戦争に巻き込まれさえしなければ亡くなることなく、友だちと楽しい思い出を作られたはずの若者たちが、数多くいたことを忘れてはいけません。
今回、観光旅行では訪れることのない場所に行くことができ、とても貴重な経験をさせていただきました。この経験を活かし同じ過ちを犯さないよう、声をあげ続けます。
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