
民主労総、韓国労総が訪日
韓国2大労働組合である民主労総、韓国労総の労働者が8月23~25日の日程で訪日した。
今回の訪日は、浮島丸事件の犠牲者を追悼する集会参加と丹波マンガン記念館訪問がその目的である。

浮島丸事件は、1945年、終戦に伴い韓国に帰国する朝鮮人労働者らを乗せた旧海軍輸送船「浮島丸」が舞鶴湾で沈没し549名が亡くなった事件である。浮島丸事件追悼集会は舞鶴市殉難の碑公園で1978年以降、事件があった8月24日に毎年開催されている。釜山に向け大湊港(青森県)を出発した浮島丸がなぜ航路にない舞鶴港に寄港したのか。戦後であるのになぜ海軍輸送船で帰還者を輸送しようとしたのか。また、定員1000名足らずの船に政府発表で3750名、実数は6000から8000名乗せていたとの証言もあり、この事件には多くの問題点が指摘されている。

マンガンが使用される身近なものとして、マンガン乾電池がある
湧きあがる被害者たちの叫び!
丹波マンガン記念館には、2016年8月、民主労総、韓国労総が協同で設置した「強制徴用朝鮮労働者像」がある。舞鶴、丹波をまわる訪日団に私たち連帯労働組合と全港湾大阪支部も同行した。
京都丹波地域には300ものマンガン鉱山があり1889年から1983年までの約90年間で15000から20000もの鉱山が作られた日本一のマンガン採掘地。マンガンは鉄を強化するのに必要不可欠な金属であり、兵器である砲身、銃身などに使われた。
過去、多くの鉱山(炭鉱など)で、安価な労働力として強制連行や植民地政策で土地を奪われ日本に渡らざるをえなかった朝鮮人や被差別部落の人たちを半強制的に働かせた。過酷な採掘労働から多くの労働者は石の埃を吸い職業病であるじん肺を煩った。
「丹波マンガン記念館」は廃坑となった炭鉱を初代館長であるイ・ジョンホ氏がじん肺に苦しめられながら買い取り、在日朝鮮人の歴史を残すために私財を投げ打って1989年開設した施設。開設して20年、公的遺産である記念館に京都府は開設に当たり一切の融資もせず、運営助成金も行っていない。それどころか、本来学校設立より鉱山開発の方が時期的に早く、学校の建設によって採掘制限を受けている。また爆音やサイレンがうるさいなどと圧力をかけられている。
日本ではこのような都合の悪い歴史は決して教えない。それどころか、そういう歴史を隠蔽する。忘れしまうことが最高の戦後処理であるという風潮すらある。過去を反省しなければ歴史は繰り返してしまう。
23日夜半に日本を襲った台風20号の影響で追悼集会は日程変更に。丹波マンガン記念館は周辺道路が災害に遭い休園になってしまった。しかし、多くのことを気付かせてくれる取り組みとなった。

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